さて。
A.→ ❶の「目指してきたお客さんだけ1,000人」のフリマ
B.→ ❷の「たまたまやってたから寄ってくれたお客さんだけ1,000人」のフリマ
どちらだったでしょうかね?
まずは、Bの方がいいと考えた方。
うちのフリマに出店する時、事前の準備は必要ありません。募集要項等を読んで出店してください。ただ、「みやぎフリマで大丈夫か?」は再確認してください(;^_^A
Aの方がいいと考えた方。
これだけは頭の片隅にあるとよいかも知れません。
みやぎフリマを目指した❶の方々は、「みやぎフリマ」を目指しているのであって、「皆さんのお店」を目指しているわけではありません。
つまり、「みやぎフリマ」が広告を出し❶の方々が増え、人出がある道の駅で開催して❷の方々が増えてトータル3000人のお客さんが来たとしても
皆さんのお店にとっては、
❷の「たまたまやってたから寄ってくれたお客さんだけ3000人」なんですね。
皆さんが当日持ってくるものは何でしょうか?
食品?キッチンカー出店?ハンドメイド作品?レアな古着?レコード?昭和レトロ?子供服?
何を出すにせよ、これらのものを「❷たまたま寄ってくれたお客さん」が買ってくれないと「売れた」にはならないんですね。
では皆さんのお店にとっての❶の方々、
つまり、「皆さんのお店を目指す方々」を増やすことはできないのか?
できるんですね。
やっている方がいます。
■自分のSNSのアカウントで告知(ハンドメイド作家さんが多い)
■自分のSNSのアカウントで有料広告配信(企業の方でした)
■いつも出しているから常連さんができた
あとは、うちでやってる
■Instagramでの出店情報
ですね。
前はホームページでもやってましたが、ちょっと大変なんでやめちゃいました。
ただ、その時のエピソードは強烈。
年配の方から電話で、「小林さん!今度さ、人体模型持っていくから!」→「あ、そうなんすね!画像あります?」→「いや、スマホとかよくわかんないんだ」→「あ、じゃあ文章だけ載せときますね」でホームページの欄に「人体模型!」って書いたことがあります。
当日。
朝一で売れてましたね。ただ、分析すべきはここではありません。誰がどういう経緯で買ったかはわからないんで、これだけを取り上げて「出店情報に効果あり」ではありません。
人体模型が売れた後。
受付で「人体模型のお店どこですか?」と何人かの方に聞かれることがありました。
この方々が「❶人体模型を目指してきたお客さん」です。
どうやって目指してきたのか?
「人体模型が出品されます!」を見たからですね。
2つ目のエピソード。
真夏の道の駅おおさと。
オズカフェさんがうちの出店情報やご自分のInstagramアカウントで「クワガタ持っていきます!」とあげました。
当日、受付で「オズカフェさんどこですか?」と聞かれました。
「❶オズカフェさんを目指してきたお客さん」ですね。
このエピソードで特徴的なのはココから
その方。クワガタを買って「じゃあ、頑張ってくださいね~」とそのまま帰りました。他を見ずに、です。
この方、ご家族で来場しましたから入口での来場者数は「4」でカウントされます。
つまり、「みやぎフリマ」にとっては❶のお客さんが「4」
「オズカフェ」さんにとっても❶のお客さん「4」
ではそれ以外のお店にとっては?
❷のお客さんが「4」ですね。
出店情報のエピソードについては、有効だったところだけを上げています。効果がなかったところももちろんあります。
❶のお客さんを増やすのってなかなか大変で、みやぎフリマで言うと3月分の広告配信の成果をみると6万のアカウントに広告がリーチしても、そのうち実際に来場する見込みのお客さんは20~30人です。
そう簡単なものではございません。
今年は、2日間開催です。「みやぎフリマ」を目指す❶のお客さんの数は、確実に分散します。
ですが、そのお客さんが500人だろうが、1000人だろうが、100人だろうが、「❷のお客さん」です。
ぜひ、出店情報を活用して「皆さんのお店を目指す」お客さんを増やしていってください。
よろしくお願いいたします。
「やってみなきゃわからない」なんて言葉がありますが、それは「う~ん、いけるかな、いけないかな、あ~どっちだろう、行ける気もするし行けない気もする、あ~でもギリ行けるかなあ」という予測があるときに使う言葉であって、「絶対無理!」っていう状況では人はその言葉は使わないでしょう。その時は「いや。やらなくてもわかる」です。
グランディフリマよりも売れる? → すみません。みやぎフリマでは「絶対無理」です。やらなくてもわかります。
「失敗は成功のもと」なんて言葉がありますが、それは主体的に、自分の頭で考えるひとが失敗した時の言葉であって、他者に1000%期待する人にとっての失敗は、単なる失敗です。
→何も考えなくて、何もしなくて、誰かが何とかしてくれるって「遊び」の中にもないんじゃないでしょうかね?
仮にそういうものがあったとして。
おもろいんすかね?